裸嵯峨 産女 百怪図巻Ver(その壱)
佐脇嵩之(さわきすうし)と言う狩野派の画家がいます。
百怪図巻を描いた人と言えば、妖怪好きな人は必ず見た事があると思います。
北斎や暁斎、石燕と並んで妖怪画の中では最も著名な人でしょう。
百怪図巻は元々室町後期の画家、狩野元信の元絵を嵩之が写したものらしく
他者の筆によるものも他に複数あるのですが、収められている30体の妖怪画は
審美的に見て現在福岡市博物館が所蔵の百怪図巻が最も優れている様に思います。
所で、嵯峨人形とは(這子や天児の様な呪術的な物を除けば)日本人形の中でも最も古い人形で
置き上げ彩色や切金の様な金彩は仏像の装飾を思わせ
事実道釈人物がモチーフとなる事も多く
その端緒が仏師の手に因るものであることは間違いなさそうです。
嵯峨人形の中でも裸の幼児を表現したものを特に裸嵯峨と呼び
当然置き上げ彩色や金彩は無く、裸の肌を胡粉で表しています。
裸嵯峨は割合スマートな幼児の姿ですが、時代と共に肉付きが良くなり
やがて御所人形として完成していったとのでしょう。
その浮世絵然とした細身のうりざね顔は
江戸初期の日本人の美意識として佐脇嵩之が描いた妖怪の姿に近い物があります。
産女の成り立ちを(ここでは姑獲鳥の出自は一先ず置くとして)考えると
人を怖がらせる様な表情ではなかったでしょうし
それよりも哀しみや母性と言った物が抽出できればと思いました。
つづく
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