裸嵯峨 産女 百怪図巻Ver(その弐)~産女の気高さ
佐脇嵩之(さわきすうし)の百怪図巻は室町時代の元絵があるらしく、所謂「写し」の絵巻と言え、嵩之以外の筆による絵巻も幾つかのこされており、又それらには百怪図巻に収録されている30体とは別の妖怪の姿が描かれている物があります。アメリカのブリガム・ヤング大学収蔵の「ぬりかべ」なんか有名ですが。
そんな中でもやはり百怪図巻が最も審美的で芸術性が高いワケですが、産女の絵を見ていつも不思議に思うのは
「コレどう見ても嬰児じゃないだろ?」
と言う点です。下手すると小学校の中学年くらいに見える。
色々考察してみて自分なりに導き出した(こじつけた)結論は、亡くなった嬰児を地蔵と見做しているのではないか?と言う事です。東京国立博物館の企画展「美術の中の子供達」の図録を見ると、なるほど道釈画における地蔵の姿に大変良く似ています。また、抱かれているのは遺体の筈なのに、母親の魂魄籠った表情とは裏腹にとても穏やかな顔をしています。
嵩之の絵には子供の身体と母親の身体双方に手形の血糊がついていて、それはややもすると猟奇的な印象を与えるのですが、見方を変えると母親が死産で生まれて来た我が子に触れ、抱き寄せ、頬を寄せ、愛おしんだ姿を想像出来ると思います。
恐らくは産褥熱で死んだ「血まみれの母子の姿」は一見ブキミで忌まわしく、穢くすら見える絵ですが、実は人間の気高く崇高な一面を切り取った芸術なのかもしれません。
木彫胡粉彩色 30㎝
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