ダミアン神父の事

棄教者 140㎜(額含まず)

ダミアン神父はベルギーの宣教者で、ハワイで癩病*患者達に親身になって一生を捧げたキリスト者ですが、彼を初めて知ったのは、多くの日本人がそうかもしれませんが、舟越保武の彫刻を見ての事でした。
確か中学生だったと思います。
「ウゲー何でこの人は全身皮膚病の人の彫刻なんか作ったんだ!」
と思いました。
全くの偶然ですが、私は同時期に遠藤周作の一連のクリスチャン作品を読み、その後舟越の代表作「原の城」を見てやはり衝撃を受け、キリスト者としての信仰の視点に興味を持つに至った訳です。


感染する事も厭わず、寧ろ患者たちと一体になれた事を喜んだと言われるダミアン神父の信仰心はとても気高く崇高な物だと思いますし、それに感動した舟越のキリスト者としての感性も素晴らしいと思うのですが、もう崇高過ぎて俗物たる自分にはちょっと触れる事が出来ないテーマの様に思えたのも事実です。


色々あって私は20代の後半に浸礼(バプテスマ)を受けるに至ったのですが、寧ろユダ・イスカリオテや、迫害によって信仰を捨てた、捨てざるを得なかった隠れキリシタンたちに共感を覚えます。それは太宰治の「駆け込み訴え」や、先にも触れた遠藤周作の「沈黙」など、多感な頃に触れたキリスト教文学が”信仰を全うした立派な人々ではなく、願いながらもその道に留まれなかった弱い人々の心”をテーマにしていたからかもしれません。


自分が描くのならばダミアン神父ではなく、そう言う”弱い”人達だな…それも、悔いている人ではなくて、弱さに甘んじ、小狡く生き抜ける人々こそ、相応しいのではないか。と思います。


弱さ、狡さ、厭らしさ、卑怯さ、嫉み、妬み、淫奔さ、信仰心と真逆なものではありますが、同時に全ての人の内面に巣食う人間ならではの属性でもあります。
それらを凝縮し抽出した顔を棄教者とした訳です。

「棄教屋、おぬしもワルよのぅ」

お後が宜しいようで。


*(旧約)聖書中に癩病と言う表記が数多くある事からキリスト教の信仰に於いてこの言葉の意味は特別で、ダミアン神父自身が感染した際「これで”わたしたち癩者は”と言う事が出来る」と喜んだ点を鑑みるに、その病の名称は「ハンセン病」ではなく「癩病」なのだと思っております。

京都妖怪博覧会 妖の宴~アヤシノウタゲ

-妖怪- はっきりとは見えない、感じられない、けれども日本人が恐れと畏れを抱き続けてきた存在… 文明開化以前の日本の美意識から生まれた妖怪を 古来からの伝統的素材と技法で製作&コレクションしているヲモカゲ一座のサイト。 作者がこの世に存在しなくなっても次世代に、100年先まで継承される作品となる事を願って。 womokage@gmail.com (ご連絡頂く場合は@を半角に)

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